2004年のベスト10 |
野々村 禎彦 |
2004年で一番の話題は『夕凪の街 桜の国』なのは疑いなく、このベスト10もこの作品を境に二分された。その下に並んだのはこの年を象徴する出来事、その上に並んだのはたまたまこの年に起こってしまった「永遠」に属する出来事。
(01) グロボカールは、80年代には《移民たち》をはじめとする傑作を次々と生み出し、20世紀後半を代表する作曲家のひとりに加わったが、90年代に入るとその切っ先も鈍った。この日演奏された《労働》(1992)もその例に漏れない。だが、委嘱新作の《人質》(2003)におけるエネルギーの噴出は、10余年の停滞をすべて忘れさせてくれた。成果らしい成果は最初の2、3年で出尽くしたように見えたサントリー国際作曲委嘱シリーズ最大の成果に、今になって出会えたのは夢のようだ。本サイトでは石塚さんがレビューする予定。
(02) フェルドマンの中期と後期の狭間に咲いた大輪の花。ソロ楽器とオーケストラのためのシリーズで最後の録音になったのは、50分間後戻りせずに緊張感を持続させる困難さが大きな理由だろうが、ファウストとルンデルはこの難関をライヴ録音で見事にクリアした。本サイトでも近々レビューする予定。
(03) そこまで高く評価する本か、という気がしないでもないが、多くの人が知っていて書かなかったことを書く方が、誰も知らなかったことを書くよりもはるかに難しい。今後野中が忘れられるとしたら、それは田中角栄のようなヴィジョンを持たなかった彼の責任だが、今後も彼が歴史に残るとしたら、それは本書が書かれたおかげだろう。政争の回想と手柄話で埋め尽くされた2冊の自伝に「真相」を対置するのではなく、それらを虚妄と捨て置いて野中という存在の歴史的意義に的を絞った批評的な構成は、佐野眞一作品のような電話帳的ノンフィクションへのアンチテーゼでもある。個人的には、本書との出会いを契機に、2004年後半は読書に多くの時間を割くことになった。
(04) 2004年の音楽的発見は、「音響派」以降のヨーロッパを牽引しそうなMattinとJean-Luc Guionnetのふたりが突出していた。いずれも宇波拓氏経由の情報であり、大フェスティヴァルのオファーとは無関係に手弁当で海外ツアーを行っている方が、面白いものにアクセスしやすいのかもしれない。特に2004年は、宇波企画の日本ツアーから生まれた音源が秀逸でMattinが上位になった。本サイトでは、彼と宇波のラップトップ演奏の特異さを顕微鏡的に拡大した《死霊のコンピューター》を近々レビューする予定だが、Klaus Filip, Radu Malfatti, Dean Robertsとの《Building Excess》(GROB, 651)、マルファッティとのデュオ《Whitenoise》(w.m.o/r, 07)、杉本拓、戸塚泰雄との《Training Thoughts》(w.m.o/r, 09)、Margarida Garciaとのデュオ《For Permitted Consumption》(l'innomable)など、興味深いディスクは尽きない。
(05) 一点突破型のMattinに対し、Jean-Lucの活動は幅広い。「2004年の5盤」では物音系ノイズユニットHubbubの新譜《HOIB》(Matchless, MRCD60)を挙げたが、フリージャズ系即興ユニットReturn of the New Thingの新譜《traque》(ayler, aylCD-010)も素晴らしい。彼の担当はどちらのユニットでもA.Sax./S.Sax.だが、息音と微小ノイズの音響プレイもフリーブロウも、彼の中では矛盾なく共存できる。他方、宇波のHibari Musicからリリースしたパイプオルガンソロ《tirets》(hibari-05)の先には、環境音を素材にしたテープ音楽作曲家としての顔がある。
(06) この作品への思いは本サイトMisc Review参照。この順位に留めたのは、本作はあくまで、ヒロシマを題材に選んだ「にもかかわらず」素晴らしいマンガだから。本作に匹敵する関係性の網目が、彼女のホームグラウンドである日常の世界(本作で描かれているのも、日常に根ざした被爆体験である)で再現された時には、2003年ベストのくらもち作品に匹敵する評価を惜しむつもりはない。
(07) 戦後民主主義を代表する論客のひとり鶴見俊輔に、『<民主>と<愛国>』の小熊英二が徹底的なインタビューを試みた。この企画の成功は、自分ひとりでは役不足と判断して上野千鶴子に援軍を頼んだ編集者感覚(かつての彼は、『世界』誌の編集者だった)に多くを依っている。昼のインタビューでは鶴見の女性観の旧弊さを容赦なく批判しておきながら、夜の会食でサインをねだるヌケヌケしさ。フェミニズム普及のためには小倉千加子とすら手を組んだ上野のしたたかさは健在だ。彼女とデータ魔小熊の絶妙のコンビと、自らの過ちに率直に向き合う鶴見の誠実な姿勢が相まって、戦前の不良少年時代からべ平連時代まで、スリリングな対話がこれでもかと続く。ただし、そこに『夕凪の街 桜の国』のように過去から未来に突き抜けるものはなく、「最高に面白い昔話」に留まってはいるのだが。
(08) 最後はライヴ3連発。これだけジャンルが違うと、本当は順位は付けようがない。Sachiko Mソロは、いずれもコンサートのゲストとして行った10数分の演奏だが、正弦波発振音とコンタクトマイクのノイズからなる極小の音楽にも、未踏の領域はまだまだ残っていることを実感させてくれた。本サイトLive Review, Brief Report参照。
(09) 黒田京子トリオは、黒田と太田恵資、翠川敬基がブラームスのピアノトリオ第1番を演奏するために「ブラームス・プロジェクト」を結成し、本番終了後に常設ユニット化したもの。その本番と2004年最後のライヴしか聴きに行けなかったのは残念だが、様式化されたジャズから離れるために苦闘してきた彼女の目指してきたものが、このユニットでついに形になりつつある。本サイトでも近々取り上げる予定。
(10) この1962年の作品で松平頼則は、同時代の戦後前衛音楽の頂点をなす作品群に勝るとも劣らない音楽的密度に至った。大井浩明&高関健/都響の演奏の精度も、一昔前の日本における戦後前衛作品の演奏とは隔世の感があった。篠原眞《ソリチュード》も、パリ音楽院を離れてB.A.ツインマーマンに師事しながら、心は既にシュトックハウゼンに向かっていた当時の彼が目に浮かぶ佳作。伝統的な語法による夏田鐘甲《伽藍》や倉知緑郎《天使たちは正しい》も、曲も演奏も十分に楽しめた。本サイトでは石塚さんがレビューする予定。
(次) 大塚英志は2004年、評論家として20世紀に行った仕事を2冊の本で振り返った。『「おたく」の精神史』(講談社現代新書)は彼が扱ってきたサブカル的対象の総括、本書はその過程で得た視座の文芸批評への適用。村上春樹、村上龍、吉本ばなならを、彼の主著をなぞるように捌いていく(種明かしもさりげなく行われている)。その意味で本書の内容の大半はオリジナルなものではなく、ベスト10には入れなかったが、最後の数章に至って様相が一変する。三島由紀夫の人工性への志向を晩年のディズニーランドへの執着と結びつけ、石原慎太郎の矮小な文学性を一刀両断し、大江健三郎を扱った書き下ろしの最終章では、ノーベル文学賞受賞講演で「サブカルチュア文学」を切り捨てて戦後日本文学史を語った大江の歩みは、「主流」の権威に基づくサブカルチャーの収奪に他ならなかったことを暴き出す。
2004年は書籍が結構ランクインし、2003年のような「音楽ばかり」ではなくなったものの、ランキングに入れたくなるような映画や美術展や舞台芸術には出会えず、ライヴ以外に挙げたのはネット通販で買ったものばかりになってしまった。さらにアンテナを広げたいところだが、現在のライヴ通いの頻度を保ってこれ以上移動を増やすのは難しい。多分野の批評は都市生活者の特権なのかもしれない。